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WMJS
The wooded islet of Yomegashima silhouetted against a burning orange sunset over the mirror-calm water of Lake Shinji at Matsue, its small torii and pines dark against the sky
どこへ行くか

山陰、神々の静かな海岸

陽の当たる側が背を向けた日本海の海岸。そして、いちばん古い日本を陰のなかに守りました。都よりも古く、いまも神々が集う神社、わずか十二しかない現存天守のひとつ、森を守った銀の山、そして日本の百選に入る夕日。東から西へゆっくりとたどりましょう。大きな砂丘から、出雲と、しずむ太陽まで。

最終確認: 2026-07-02

日数
4日間。東から西へゆっくりたどって、そのはてで抜けていきます(鳥取砂丘、松江、出雲、石見銀山)。到着から出口まで、自由に組み替えられます。山陰はもともと広く散らばっていて、ゆっくり進むように出来ているので、これはきっちりした周回というより、のんびりした一本の線として楽しむのがいいでしょう
ベストシーズン
一年をとおして楽しめますが、季節ごとに手ざわりが違います。春と秋はおだやかで歩きやすく、旧暦の十月(晩秋)には八百万の神々が出雲に集うと言われ、この海岸の一年でいちばんにぎわう時期です。日本海の冬はほんとうに灰色で、雪も少し降りますが、それはこの土地の気配の一部で、避ける理由にはなりません
拠点
砂丘のために鳥取で一泊し、それから城と湖の夕焼けのために松江を中心の拠点にします。そのあと出雲の神社の近くで一泊。こうしておくと、最終日に西の石見銀山へ足をのばしやすくなります
移動手段
この海岸には新幹線が一本もありません。その不在こそが、この土地の気配のすべてです。旅の背骨になるのは特急で、そこに私鉄一本と二、三のバスが加わります。ICカードは飛び飛びの区間でしか使えないので、ここは現金を少し持ち、紙のきっぷを買う土地です。車は必要ありません

このプランが合う人

  • 初めての日本よく合う
  • リピーターぴったり
  • 子ども連れよく合う
  • ひとり旅ぴったり
  • ふたり旅ぴったり
  • ゆったりペースよく合う
行く時期Year-round

The sunsets and the shrines draw all year; the myriad gods are said to gather at Izumo in the tenth lunar month (late autumn), the coast's busiest season, and Sea-of-Japan winters are grey with some snow — part of the mood rather than a reason to stay away.

日本の西側には、東西の二つの面を呼び分ける古い言葉があります。にぎやかな南側、広島や岡山、新幹線がとおる回廊は「山陽」。山の陽の当たる側、という意味です。いっぽう、この日本海ぞいの海岸は「山陰」。山の陰の側、と呼ばれてきました。そして山陰への正直な第一印象は、たいてい小さく肩をすくめるようなものです。新幹線は一本もとおらず、空はどこか灰色がかっていて、町と町は遠く離れ、初めての日本旅行の定番リストにはまず載りません。でも、その肩をすくめる手をほんの少しだけ止めてほしいのです。というのも、ここで知っておく値打ちがあるのは、この「陰」が、欠落どころか、いちばん古いものを大切に仕舞い込んだ結果だということだからです。陽の当たる側が建て直し、急ぎ、近代化していったあいだ、陰の側はいちばん古い層をただ壊さずに残しました。だからこの一本の海岸には、日本最初の都よりも古く、毎年神々が集うと言われる神社がいまも残っています。全国にわずか十二しか残らない現存天守のひとつ、この海岸ぜんたいでたったひとつの生き残りも。そして、いまも実際に立てる浜や川に結びついたままの、日本の建国神話も。さらに、日本が世界の銀の三分の一を産んでいた時代の銀の山も。それでいてこの山は森を保ち、木々は坑道の上に静かに育ち戻っていきました。「灰色で、遠くて、有名なものは何もない」という軽い評は、じつのところそのまま通の目にこそ映るごほうびになります。あなたが見ているのは、この国のほかの土地がその上に築かれた、いちばん底の地層なのですから。そしてわたしがいちばん好きな一節がこれです。年に一度、日本じゅうの神々が陽の当たる側に背を向けて、この地へ旅すると言われているのです。旧暦の十月は、ほとんどの土地で「神無月」、神のいない月と呼ばれます。神々がみな出雲へ発ってしまうからです。そして出雲だけが、同じその月を「神在月」、神のいる月と呼びます。暦そのものが、ほんとうの住所はどこなのかを打ち明けているのですね。

かたちはとてもシンプルです。一本の海岸を、東から西へゆっくりとたどり、旅をだんだん高めていく。わたしなら、これを急がない4日間の枠として持ちます。鳥取の大きな砂丘、黒い城と湖の夕焼けの町松江、荘厳な神社のある出雲、そして西のはての緑の銀の谷石見銀山。東の関西から入り、西の広島へと抜けていくので、日本の大きな旅ふたつを行き止まりにせず橋わたしします。心臓部を2日にぎゅっと縮めることも、1週間にのばすこともできます。どこがゆるむのか、どこが育つのか、これからお見せしますね。出かける前にひとつだけ折り合いをつけておきたいのは、その「ペース」です。山陰は、ゆっくりした基本ソフトで動いています。海岸線を走る2両のディーゼル列車、現金と紙のきっぷにすぐ戻ってしまうICカードの地図、そして日本に最後まで残った寝台特急が、いまも縁結びの社へゆられていって朝ごはんの時間に着く。この遅さを、うまく回避すべき欠点だと思わないでください。それはこの土地ぜんたいが書かれている、言葉づかいそのものなのですから。急げば、灰色の日帰りが返ってきます。そのペースにこちらが合わせれば、夜明けの光と、潮の満ち引きと、夕焼けとなって返ってきます。ここからは、わたしならどう動き、どこに泊まり、そしてそれをあなた自身の日数にどう組み直すかをお話ししますね。

拠点をどこに置くか

山陰でどこに泊まるかは、じつのところ、この海岸と張り合わないというだけの話です。海岸は東から西へ一本の長い線でつながっているので、わたしなら一つの拠点から行き来するのはやめて、その線ぞいに眠りながら進みます。

鳥取での一泊目を選ぶと、夕方の遅い光か、日帰りバスが来る前の早朝に砂丘へ立てます。砂は、一日のはしっこでは、また違う静かな表情を見せてくれます。それから松江が自然と真ん中になり、もし出来るなら二泊を割きたい場所です。この地域の中心の街で、すべての路線が交わる場所にあり、それ自体で旅の二つの夕べを抱えています。昼は城下町、夕暮れは宍道湖の夕焼け。出雲の神社へは、西へ日帰りで気軽に動けます。もし、この海岸の昔ながらの心地よさが欲しいなら、松江のすぐ外にある温泉町玉造は、千年以上も「神の湯」と讃えられてきた場所で、街のホテルの代わりにとても素敵な選択になります。

出雲での一泊、大きな神社の近くで過ごす夜は、わたしが何としても守りたいものです。神社は朝早くと夕方遅くがいちばん静かで、混雑は昼どきの悩みです。近くに泊まれば、静かな夜明けの参道が手に入り、松江への最終バスの時計を気にせず、日御碕まで日本海の夕日を追いかける、という選びかたもできます。しかも、それはあなたを西へもう一つ先の町へそっと押しやってくれます。まさに、最終日が向かう方角です。西のはて(石見銀山)はじゅうぶんに遠いので、もし急ぎたくないなら、銀山の古い町大森か、小さな港町温泉津での一泊が、朝の静けさのなかで谷を歩き、あわてずに西行きのバスをつかまえさせてくれます。

四つの軸のうち、いまWMJSの本格ガイドがあるのは出雲だけで、それはリンクを張っています。鳥取・松江・石見銀山は、まだガイドが書けていないので、リンクを張らず、正直に名前だけでご紹介しています。

移動ときっぷ

山陰での移動でまず分かっておきたいのは、ここに「ない」ものです。この海岸のどこにも新幹線はありません。新幹線はすべて陽の当たる山陽側を走ります。こちら側で旅を支えるのは、ふつうの特急です。そして高速鉄道の流れからすとんと降りる、その感覚こそが、ここへ来ることの半分の意味なのです。

その特急のうち二つが大切です。やくもは岡山(新幹線とつながる)から山を越えて松江・出雲へと下っていきます。知っておきたいのは、いまは全席が指定席だということです。自由席の車両はないので、パスを持っていても、まず席を押さえます(パスがあれば指定は無料ですが、任意ではありません。くわしくはファクトボックスに)。海岸そのものを走るのは、まばらな小さな2両のディーゼルです(路線は電化されていません)。だから、行き当たりばったりで着いて願うより、あらかじめ時刻を調べておくのが得策です。

カードはここでは助けになりません。 ICOCAやSuicaといったICカードは、鳥取のまわり、そして米子・松江・出雲のあたり、という別々の区間でしか使えません。しかも、つながっていない二つの区間をまたいでタッチはできないので、海岸線の真ん中、出雲大社へ向かう私鉄の一畑、そしてほとんどの路線バスは、みな現金と紙のきっぷです。どれも難しくはありません。ただ、いくらか現金を持って、ときどき紙のきっぷを買うというだけのこと。それが田舎の改札での戸まどいを減らしてくれます。こういう海岸の旅には、ぴたりと合う手ごろな地域パスがあり(ファクトボックス)、やくもの指定席もそれに無料でついてきます。

もし気分が向けば、素敵なゆっくり派の選択肢が二つあります。サンライズ出雲は、日本に最後まで残った定期の夜行寝台列車です。夜に東京を発ち、夜明けに四国行きの相棒と切り離され、朝ごはんの時間に縁結びの社へ降ろしてくれます。この着きかたそのものが、一種の序曲なのです。そして私鉄の一畑の各駅列車は、宍道湖の夕日の岸辺にとても愛らしく寄りそうので、出雲までの道のりそのものが観光で、そこへ着くための手段ではありません。これらのどれにも車は要りません。車輪があると助かる唯一の場所は、大山までぶらりと登るときくらい。そして正直なところ、その速さを手ばなすことが、この海岸があなたに効きはじめる入り口なのです。

鳥取:海岸のいちばん素のすがた

The great bowl of the Tottori Sand Dunes rising to a wind-carved ridge above the blue Sea of Japan, tiny distant figures on the sand giving the scale

わたしなら、素朴な東のはしから幕を開けます。鳥取は、その意味のどれよりも先に、この海岸の文法を教えてくれるからです。ここでは、何ひとつ整えられておらず、仕上げられてもいません。鳥取砂丘は、日本で一般に立ち入れる砂丘のなかで最大で、青い日本海の上へ尾根をなして立ちあがる、風が積みあげた砂のほんものの広がりです。それは管理された観光施設というより、いまも働きつづける十万年ぶんの風で、砂紋も稜も毎日書きかえられています。この地域の博物館さえ、うつろいに身を寄せています。すぐそばの砂の美術館は、世界でただひとつ砂の彫刻に捧げられた館で、毎年その世界的な作品が新しいテーマで作られ、会期が終わると、静かにばらばらの砂へ返されます。何ひとつ残しません。平野の西にそびえて、しばしば目に入るのが、ほとんど完璧な円錐形の大山、「伯耆富士」です。その大きなブナの森が残ったのは、まさにこの山が神聖なものとされ、そっとしておかれたからでした。それが、この海岸のすべての考えを一日目に凝縮したものです。陽の当たる側ならならしてしまうものを、陰の側は素のまま、作りかけのまま、あるいはただ手つかずのまま、残しておくのです。

  1. 関西から入る山を越えて砂へいちばんすっきりした着きかたは、京都や大阪から特急スーパーはくとに乗ることです。山を越えて2時間ほどで鳥取まで駆けあがります(ファクトボックス)。鳥取駅の近くに荷物を置きましょう。砂丘は、海岸へ向かうバスで少し行ったところです。
  2. 午後砂丘と、一日のはしっこの光砂の上を尾根まで歩いて、海へと下る眺めを見にいきましょう。早朝か夕方が、人の波が引いて、低い日ざしが砂紋をなでるように照らす時間です。よければラクダ乗りやサンドボードもありますし(ファクトボックス)、ただ長く裸足で歩くだけでもいいのです。となりの砂の美術館は、その年の彫刻が展示されていれば、一時間の値打ちがあります(毎春、新しいテーマを作るあいだしばらく休館します。日程を確かめてください)。
  3. 時間があれば、近くにとっとりブルーの海岸、あるいは妖怪の町すぐ東の荒々しい浦富海岸は、澄んだ水で名高く、季節ごとの小さな観光船が海食洞に鼻先を差しいれます。松江のほうへさらに西へ行くと、境港での半日は、ブロンズの妖怪が並ぶ通りを歩けます。砂丘を生み、銀を隠したこの霧の陰の海岸は、幽霊も育てました。そしてここは、漫画家の水木しげるが彼らを友だちに変えた場所です。(鳥取にはまだWMJSのガイドがないので、リンクを張らず、正直に名前だけでご紹介しています。)

松江:昔の自分を手ばなさなかった街

The black original keep of Matsue Castle rising above the misty town at dawn, golden shachihoko on its roof, forested hills and Sea-of-Japan haze beyond

西へ松江へ。すると、海岸の文法が意味を帯びはじめます。ここは自分の過去を一度も取り壊さなかった町で、だからこそ、ほとんどどこも持っていないものを抱えています。日本にはわずか十二の現存天守しか残っていません。侍の時代から立ちつづけ、焼けてコンクリートで建て直されることのなかった塔です。松江城は、この海岸ぜんたいでたったひとつのそれです。黒い破風が鳥の翼のように広がるさまから「千鳥城」と呼ばれる、暗く厳めしい姿で、四百年の堀の水路がいまも現代の街をぬう堀の町をおさめています。松江はまた、「人を留めた」町でもあります。西洋のもっとも早い日本の紹介者のひとりラフカディオ・ハーンは、東京を素どおりして、この「何もない」海岸に1890年(明治23年)にやって来て、地元の武家に婿入りし、小泉八雲として住みつづけました。陰の側がそっと自分のものにした異国の人です。そして一日は、山陰がいちばん得意とするかたちで、水のうえに終わります。宍道湖の夕日は、日本の百選に入るこの国でも数少ないもののひとつで、小さな松の島影のむこうで、ゆっくりと燃えていきます。

  1. 午前海岸ぞいに西へ、松江まで海岸ならではの特急(スーパーまつかぜ)が鳥取から松江まで、2時間をじゅうぶん切って走ります(ファクトボックス)。漁師町と田んぼの国をぬける2両のディーゼルで、本数がまばらなので、わたしなら朝ごはんの前に時刻を確かめておきます。街なかでは、レトロなレイクラインの周回バスが見どころを結んでくれます。
  2. 昼どき黒い天守と、いまも合う堀松江城の急な木の階段を登って、わずか十二の現存天守のひとつから湖々を見わたし、それから小さな堀川めぐりの舟で古い水路をひとまわりしましょう。低い橋のうち四つでは、舟の屋根が機械じかけで下がって、みんなでぺたりと身をかがめます。四百年の町が、新しい街にいまもどれほどぴたりと合っているかを見せてくれる、ちょっとした演出です(ファクトボックス)。
  3. 夕方ハーンの一角、そして湖が金色になる武家屋敷の道塩見縄手をたどってハーンの残された旧居と記念館へ。それから日が落ちるころ、宍道湖の西の岸辺に立ちましょう。嫁ヶ島が、燃える水のうえの黒い切り絵に変わっていきます。それはあなたではなく、お天気の采配です(松江は「夕日指数」まで出しています)。海岸のペースにこちらが合わせていくことの、それ自体がひとつの教えですね。

出雲:神々が集う地

The cypress-bark roofs and crossed black chigi finials of the main sanctuary of Izumo Taisha, set against a misty forested hill above an empty gravel court

今日は、暦がこの海岸をめぐって曲がる、その理由です。出雲大社、出雲大社(いずもおおやしろ)は、日本でもっとも古く、もっとも格の高い神社のひとつで、712年(和銅5年)の『古事記』にすでに名が記されています。その本殿は国内で最も高い神社建築で、大社造という様式そのものが、この社の名にちなんで呼ばれています。ここでは何もかも独自のやり方です。参拝は、ふつうの二拍手のところを拍手。参道でさえ、めずらしく下りの坂になっています。そして年に一度、旧暦の十月に、日本の八百万の神々が自分の社を離れ、その年の縁について神議りをするためにここへ旅すると言われています。だからこそ、大国主命は縁結びの神、恋の縁だけでなく、ひとつの人生を編むあらゆる縁を結ぶ神なのです。その物語は、ガイドにきちんと語らせて、わたしなら、ただゆっくりとそこを歩きぬけます。ふらりと訪れる人が見落としがちなのは、出雲がただ見て回るための観光地にとどまらず、いまもまわりの砂や川に結びついたままの、日本そのものの起源の物語だということです。それから西の断崖へ。海岸がもう一度その約束を守る場所、ひらけた日本海と、最後の日ざしを受ける灯台のもとへ。

  1. 午前神社へ、静かな道で松江からは、私鉄の一畑で宍道湖の北岸ぞいに行くことができます。ゆっくりの各駅列車そのものが観光です。あるいは出雲市まで乗ってバスに乗りかえる手も。いずれにせよ、神社はJRの駅から少し離れています(ファクトボックス)。早く行きましょう。混雑は昼どきのもので、下っていく松並木の参道は早朝がいちばん静かです。自分の足音が聞こえるほどの余白があります。
  2. 昼どき大きな注連縄、四拍手、そして神々の住所出雲ならではのやり方でお参りをして、神楽殿の巨大な手織りの注連縄の下に立ち、この場所がひらいていくのに身をゆだねましょう。四拍手のこと、縁結びのこと、神々が集う月のこと。物語のすべてはガイドにあります。出雲大社。少し西へ歩けば、稲佐の浜、神々が上陸するという神話の浜です。ここの砂をひとつかみ、神社で授かった砂と取りかえる土地のならわしは、そっとやってみたくなる素敵なことです。
  3. 夕方日御碕の断崖と、海のうえの太陽空がやさしそうなら、神社の先までバスで日御碕へ。朱塗りの神社と、日本一高い石造りの灯台が、ひらけた日本海のうえに立っています。この国の西のはしで日が沈むのを見る、名高い場所です(ファクトボックス。バスは本数が少ないので、最終便に気をつけて)。それから、出雲の近くで一泊。あすの西へ、もう一つの町ぶんだけ近づいて。

石見銀山:森を守った山

The preserved old town of Omori in the Iwami Ginzan silver-mine valley, its tiled roofs nestled deep among green forested hills

最終日は、この旅の考えぜんたいを着地させる日です。石見銀山は、かつて地球でもっとも大きな銀山のひとつでした。1600年代初め、日本は世界の銀のおよそ三分の一を産み、この谷はその筆頭の産地で、その銀は大航海時代の地図に載ってヨーロッパまで届きました。ほとんどどこであっても、それほどの規模の銀の熱狂は、傷つき、毒された風景をあとに残します。ここではそうなりませんでした。鉱山は小さな単位で手作業で掘られ、森は伐りたおさず手入れされ、鉱脈がついに尽きたとき、山々はただ坑道の上に緑をとりもどしていきました。だからこそユネスコは、ここをアジアで初めて世界遺産になった産業遺跡としたのです。その自然との調和がたたえられたことも、理由のひとつでした。古い坑道へは歩いてたどり着きます。銀の上に癒えていった森のなかへ、木かげの谷の道を歩いていくので、誰かに語られる前に、その物語を感じられます。それは、この海岸があなたに見せてきたすべてと韻を踏んでいます。大山の守られたブナの森、素のまま繕われない砂丘、毎年ばらばらに返される砂の彫刻。山陰は自分の過去を修復しません。ただ、一度も壊さなかったのです。西へすべり抜けていく前の、ふさわしい最後の一音です。

  1. 午前西へ、銀の谷へ出雲や松江から海岸線を西へ行くと大田市に着き、そこから路線バスが世界遺産の集落大森まで登っていきます(ファクトボックス。このバスはJRパスの対象外です)。古い町なかには車が入らず、それがこんなにも静かな理由のひとつです。代官所あと、武家屋敷、商家が並ぶ、人の暮らす道すじで、その多くはいまや、博物館めいた廃墟から、小さなお店やカフェへと変わっています。
  2. 昼どき坑道の上に育った森のなかへ谷の道を歩いて龍源寺間歩まで登りましょう。中に入れるただひとつの坑道で、いまも岩に残るノミとつるはしの手掘りのあとを見ることができます(ファクトボックス)。行きも帰りもおだやかな道のりで(ファクトボックス)、小さなシャトルのカートもあります。そして育ち戻った森をとおって行くことこそが肝心です。「緑の鉱山」を、掲示で説明する代わりに、一本の道として歩いて感じるのです。
  3. この先の道西へ広島へ、あるいは静かな一泊ここで海岸は、あなたをすっきりと次へ手わたしてくれます。高速バスが大田から広島へ直行し(ファクトボックス)、東へ引き返すことなく山陽新幹線と瀬戸内海の旅へと降ろしてくれます。あるいは、銀の谷を急ぎたくないなら、大森か小さな港町温泉津で一泊して、朝の静けさのなかを歩くのもいいでしょう。近くの出雲縁結び空港から飛び立つのも、すっきりした三つめの出口です。

もう1日あるなら

+1日

山陰は、急がない一日か二日を足すことで報いてくれます。この海岸ぜんたいが、急ぐことを罰するからです。いくつかの方角をご紹介します。どれも「正解」というわけではありません。

大山で、聖なる山の一日を。 鳥取と松江のあいだにそびえる大山(「伯耆富士」)は、700年代からの信仰の山で、中腹には大山寺があり、西日本でも指おりのブナの森があります。山頂が長く神聖なものとされ、立ち入りを禁じられてきたおかげで、森はまるごと残りました。下のほうの林ではおだやかな散歩を、上のほうではもう少しきつい登りを。稜線ぞいの道は冬の雪で閉ざされます。

一幅の絵のような庭。 松江の東、安来にある足立美術館は、二十年以上ものあいだ日本一に選ばれつづける庭を持っています。でも、その庭のなかへは歩いて入りません。建物のなかの決まった場所から眺めるように仕立てられていて、窓が額縁のはたらきをするので、庭は季節とともに移ろう掛け軸のように構図が組まれています。駅からシャトルで、半日の寄り道です。

神話のなかの温泉の一夜。 松江のすぐ外の玉造温泉は、八世紀から癒しの「神の湯」とたたえられ、勾玉づくりの古い工房の地でもありました。物語のしみこんだ、やわらかな眠りの場所です。海岸をさらに行くと、小さな温泉の港町が、西のレグに自然と溶けこみます。

はての、そのまた先へ。 境港か松江の側から、遠く離れた隠岐諸島へフェリーが出ています。海食崖と古い流刑の島の歴史をもつユネスコ世界ジオパークで、日帰りよりも、泊まりがけでのんびり訪ねたい寄り道です。天候しだいで、陰の海岸をいちばん遠くまで味わいたい旅人のために。

1日足りないなら

−1日

時間が短いなら、やさしいのは島根の心臓部をとっておいて、両はしを待たせることです。松江と出雲は、松江の一つの拠点からきれいな二日になります。ある日は黒い城と宍道湖の夕焼け、次の日は神々が集う大きな神社。東の砂丘と西の銀の谷は、また別の旅にとっておきます。ここは、たどり着くのがいちばんかんたんな半分でもあります。岡山から新幹線側を通って山越えでそのまま入ってくることも、出雲へ飛ぶこともできます。それでいて、旅の考えぜんたいを小さく抱いています。いちばん古い城と、いちばん古い神々を守った、一本の海岸です。四つの軸ぜんぶを窓のむこうに急いで通りすぎるより、わたしはあなたに、この半分をゆっくり見てほしいのです。

ここから足をのばす

その先へ

山陰は、日本の大きな旅ふたつを橋わたしするように出来ているので、両はしできれいに延びていきます。東は、関西へと返します。 鳥取のはしは京都や大阪からの特急で、その道で行き来するなら、山陰のふちの温泉町城崎と、松の合間から眺める天橋立が、海岸と古都のあいだに座っています。山陰を関西の一週間にそっと通す、やさしい道です。西は、瀬戸内海へと手わたします。 石見銀山のはしは、高速バスで広島の山陽新幹線に降ろしてくれます。広島と瀬戸内海の旅(宮島、直島)の玄関口です。北の海岸の静けさが、島の光へとまっすぐ流れこみます。それはまた、ゴールデンルートをすでに済ませた人にとっては、自然な二度目の旅にもなります。二度目に探しにいく、より深く、よりゆっくりとした日本です。その糸すじ(現存天守、神話のしみこんだ神社、温泉町)は、城や温泉のテーマ別ルートへとつながっていきます。わたしは山陰を、より長い旅のなかで、ようやく高速の流れから降りて、この国が自分のまわりで古く静かになっていくのにまかせる、そんな部分として扱いたいのです。

知っておきたい、運賃と所要時間

関西 -> 鳥取(特急スーパーはくと)
特急スーパーはくと。大阪から鳥取まで約2時間30分(京都からはもう少し長め)、智頭急行線経由。大阪からの片道はおよそ、自由席¥6,590/指定席¥7,420。両タイプの車両あり。1日約7往復なので早めの予約を。注意: 上郡〜智頭の区間はJR以外の路線なので、JRパス/山陽・山陰パスの利用者はこの区間ぶん約¥1,850(指定席)の追加料金がかかります。
岡山 -> 松江/出雲市(特急やくも)・全席指定
特急やくも。岡山(山陽新幹線とつながる)から山を越えて、松江まで約2時間30分、出雲市まで約3時間。新型273系の振り子式でおおむね1時間に1本。全席が指定席です(2024年3月16日の改正から。自由席の車両はありません)。パスがあっても、まず席を予約します(無料ですが必須です)。指定席の片道はおよそ、松江まで¥6,000/出雲市まで¥7,000。(よく言われる「¥21,000」は東京から出雲までの昼行の合計、新幹線とやくもを足したもので、やくも単体のレグではありません。)
海岸の背骨・鳥取 <-> 松江 <-> 出雲市(スーパーまつかぜ/スーパーおき)
海岸ならではの特急。鳥取から松江まで約1時間20分〜1時間30分(片道おおむね¥4,700〜5,100)、短いキハ187のディーゼル(路線は電化されていません)で、指定席と自由席が各1両だけ。本数はまばらで、米子〜出雲市のスーパーまつかぜは1日約7往復のみ、数時間あくこともあるので、行き当たりばったりで着くより、時刻表を確かめて。
海岸のレールパスとICカード
JR西日本の鳥取・松江エリアパスは3日連続で¥4,000。鳥取・米子・松江・出雲エリアの特急自由席と普通列車が乗り放題で、指定席(全席指定のやくもに必要)は窓口で無料で予約できます。訪日外国人のみ対象です。ICカード(ICOCA/Suica)は別々の区間、鳥取のまわりと、米子〜松江〜出雲市でしか使えず、つながっていない二つの区間をまたいでタッチはできません。だから路線の真ん中、私鉄の一畑、ほとんどのバスは現金と紙のきっぷです。
サンライズ出雲の夜行寝台(東京 -> 出雲市)
日本に最後まで残る定期の夜行列車。東京を21:50ごろ発ち、夜明けに岡山で四国行きのサンライズ瀬戸と切り離され、松江に9:33ごろ、出雲市に10:00ごろ着きます(およそ12時間)。全席・全寝台が指定です。いちばん安いのはカーペット寝台の「ノビノビ座席」で合計約¥16,040、個室はもっと高くなります。きっぷは1か月前の10:00ちょうどに発売され、数分で売り切れることもあります。
山陰の三つの空港(行き帰りの空路)
出雲縁結び空港(IZO)は出雲・松江のはしへのいちばん近い空の玄関口です。羽田から約90分(JAL/フジドリームエアラインズ)、空港バスで出雲市まで約30分¥720、松江まで約30〜40分¥1,050。米子鬼太郎空港(YGJ、ANA)は羽田まで約1時間15分〜1時間25分で、海岸の中央部へ。鳥取砂丘コナン空港(TTJ、ANA)は羽田から約1時間15分で、東のはしへ。空港の名前だけで、この海岸が分かります。縁を結ぶ神々と、二人の愛される漫画家です。
鳥取砂丘と砂の美術館
鳥取砂丘は、日本で一般に立ち入れる砂丘としては最大で、海岸ぞいに約16km、砂の斜面は最大で約50m(起伏はエリア全体でおよそ90mに達します)。およそ10万年をかけて風が築いたもので、山陰海岸ユネスコ世界ジオパークの一部です。ラクダ乗りはおおむね9:30〜16:00(約¥1,600)、サンドボードやパラグライダーは地元の業者で。となりの砂の美術館(世界で唯一、入館¥800)は、毎年あたらしい砂の彫刻のテーマを見せ(2026年:「スペイン」、2026年4月24日〜2027年1月3日)、テーマの入れかえのあいだは制作のため休館します(おおむね1月上旬から4月中旬〜下旬まで)。
松江城、堀川めぐりの舟、レイクラインのバス
松江城(1607〜1611年築)は日本にわずか十二しか残らない現存天守のひとつで、山陰地方ではただひとつ。2015年に国宝に指定されました。入館¥800。堀川めぐりの舟は、城のおよそ3.7kmの水路を約50分でひとまわりします(¥1,600、乗り降り自由)。17ある橋のうち4つで屋根が機械じかけで下がり、乗客がぺたりと身をかがめます。通年運航で、冬にはこたつ舟も。レトロなレイクラインの周回バスは見どころを約20分ごとに結びます(1回¥210/1日券¥520)。
松江のラフカディオ・ハーン(小泉八雲)
ラフカディオ・ハーンは1890年(明治23年)4月に来日し、松江で英語を教えました。妻の小泉セツとともに塩見縄手の武家の一角に住み(1891年)、『知られぬ日本の面影』を、のちに『怪談』を著し、1896年(明治29年)に小泉八雲として帰化しました。保存された旧居と、となりの記念館(1934年に初開館、2016年に改修)は、同じ古い道すじに並んで建っています。
宍道湖の夕日と嫁ヶ島
宍道湖(日本で7番目に大きい湖)にしずむ夕日は、日本の「夕陽百選」に選ばれています。小さな嫁ヶ島(一周約240m)が、あの象徴的な黒い島影をつくり、たいていは島根県立美術館のそばの白潟公園から眺められます。晴れた夕べに当たるかどうかは運しだいで、松江は「夕日指数」まで出しています。
松江 -> 出雲大社(私鉄・一畑/バス)
出雲大社はJR出雲市駅から約8〜10kmで、駅のすぐそばではありません。松江からは、私鉄の一畑で松江しんじ湖温泉から宍道湖の北岸ぞいに出雲大社前まで約1時間(川跡で1回乗りかえ、約¥820。一畑1日フリーきっぷ¥1,600)、あるいはJRで出雲市まで行ってバス(約25分、¥470〜530)。一畑は私鉄なので、JRパスの対象外で、全国相互利用のICカードも使えません。紙のきっぷを買うか、現金で払ってください。
出雲大社・古さ、本殿、注連縄、そして神々の集い
日本でもっとも古く、格の高い神社のひとつで、712年(和銅5年)の『古事記』に名が記されています。本殿は24mの高さで、日本でもっとも高い神社建築。もっとも古い神社様式である大社造は、この社にちなんで名づけられました(本殿は1952年〈昭和27年〉に国宝)。中世の記録と2000年(平成12年)の柱の発掘から、古代には約48mの本殿があったと考えられています。神楽殿の巨大な注連縄は、およそ13.6m、約5.2トン。ここでの参拝は、二礼・四拍手・一礼です。旧暦の十月(旧暦なので太陽暦の日付は毎年ずれます。2026年のお迎えは11月29日ごろ)に八百万の神々が集うと言われ、出雲の一年でいちばんにぎわう時期です。
稲佐の浜と日御碕(神話の浜と灯台)
稲佐の浜は出雲大社の西へ約800m(歩いて15分)、神々が上陸するという神話の浜です。土地のならわしでは、まずここできれいな砂を集め、神社の素鵞社にそなえて、同じ量の授かった砂を持ち帰ります。神社の先(バスで約20〜25分、本数が少ないので最終便に注意)の日御碕には、朱塗りの日御碕神社と、ひらけた日本海に面した断崖に立つ日本一高い石造りの灯台(43.65m、1903年〈明治36年〉初点灯)があります。名高い夕日の名所です。
石見銀山・世界遺産の銀の谷
石見銀山遺跡とその文化的景観は、2007年(平成19年)にユネスコに登録されました(No. 1246)。アジアで初めて登録された鉱業・産業遺産で、大航海時代の交流と、自然との調和が評価されました。1526/27年から1923年(大正12年)まで、小規模な手作業で採掘され、森をほとんど伐りたおさなかったので、坑道の上に森が育ち戻りました。1600年代初めには日本が世界の銀のおよそ三分の一を産み、石見がその筆頭の産地でした。龍源寺間歩(1715年〈正徳5年〉開坑)は約273mが歩いて入れるように開かれていて、手掘りのあとがいまも見えます(入坑約¥410)。古い町の大森は車を締めだしています。
石見銀山へのアクセスと、広島へのすっきりした西の出口
松江/出雲から海岸線を西へ行くと大田市駅(おおむね45〜90分)、そこから石見銀山号のバスで大森/世界遺産センターへ(約30分、約¥760。JRパスの対象外で、おおむね1時間に1本)。大森は車が禁止で、町からは龍源寺間歩まで歩いて30〜45分、帰りも同じ道です(または小さな「銀山カート」。水曜は運休)。東へ引き返さないためには、石見交通の高速バスが大田 <-> 広島駅を走り(約2時間40分〜3時間、1日約2本、世界遺産センターに立ち寄ります)、山陽新幹線に降ろしてくれます。早めの予約を。